伝説の道化師オレグ・コンスタンチノヴィッチ・ポポフさんが1日、公演旅行先のロストフ・ナ・ドンで心不全のため急逝した。86歳だった。葬儀は7日、サーカス会場で行われ、遺体は1991年以来ドイツ人の妻と暮らしていた独フランケン地方で9日埋葬された。
ポポフさんはモスクワに近いヴィルボヴォに生まれた。伝説によれば、旧ソ連共産党機関紙『プラウダ』の植字工として働いていた1944年、事業所内のお祭りで曲芸を披露したところ、国立サーカス学校に即時入学が認められたという。
モスクワ国立サーカスに加わった1955年、ブリュッセル公演で先輩カランダシの代理として出演して大好評を得たのを機に、国外でも次第に名が知られるようになった。国内の賞はもちろん、「道化師のアカデミー賞」と言われる、モンテカルロ国際サーカス・フェスティバルの「ゴールデン・クラウン」も獲得した。
市松模様の帽子(キャスケット)をかぶり、縦じまのズボンに赤靴下、先のとがった靴を履き、トレードマークの赤鼻をつける。この赤鼻はすべてポポフさんが手作りした。「たくさん、本当にたくさんの鼻が要ったよ」と話していた。
芸のレパートリーは200種類。すべて自作だ。短く、ささやかな話を曲芸やトリックを交えて演じる。有名なのは「光」のエピソード。お日様の光を捕まえようとする話だ。ピクニックに出かけて食事の準備ができたと思うと陽光が去ってしまう。何度も追いかけてようやくつかまえ、かごにそっと収める様子は、人々の笑いと涙を誘った。
観客に愛されたポポフさんだが、体制転換後、国が払おうとした月給はわずか400ルーブル。暮していくには到底足りない。70歳の誕生日に送られてきたプーチン首相(当時)のカードについても、「『大統領年金』でも出るのなら(ロシアに)帰るかも」と怒りは収まらない様子だった。
そして昨年、ロシア・サーカス協会に口説き落とされ、ソチのサーカス・フェスティバルに客演。観客の熱狂に幸せを感じたポポフさんは、ロシアでの公演を受け入れた。亡くなったのは、その公演旅行中。宿泊先でソファーに座り眠ったまま、目を開かなかったという。
ファンは、ポポフさんが天国で神様を笑わせているに違いないと考えている。