「アダムとイブ」の長い旅~ウクライナ

ルーカス・クラナッハ(父)といえば、ドイツ・ルネッサンスの巨匠として知られるが、その作品の一つ「アダムとイブ」は20世紀の歴史に飲み込まれ、数々の人の手に渡ることになった。現在わかっている最も古い所有者、キエフの国立西洋東洋美術館はこの絵を所蔵する米国の美術館に返還を求める方針だ。

そもそもの始まりは、共産主義政府の方針で1927年に宗教施設の芸術作品が差し押さえられたことにある。作業に当たっていた西洋東洋美術館の館員が、ある教会の鐘楼に通じる階段の下でアダムとイブを描いた一枚の板絵をみつけた。まずは洗浄して、反宗教プロパガンダの展示に利用された。

その後、専門家の鑑定で「アダムとイブ」が「ドイツ・ルネッサンス期」の作品であることがわかった。このため、絵を西洋東洋美術館に移動し、改めて「水をバケツ何杯も使って洗った」上で、詳細な鑑定・復元作業が行われた。その過程で、これが一枚の絵ではなくて二枚を接着したものであることが判明し、元通り二枚に分けられた。塗料を落とす作業を進めるうち、蛇をモチーフとするクラナッハ(父)のサインが出てきた。

貴重な作品であることがわかったのはめでたいが、その貴重さのため、この絵は数奇な運命をたどる。29年にソビエト連邦政府の差し押さえに遭い、30年に「ストロガノフ家コレクション」の一枚と偽って、ベルリンのオークションハウスで競売にかけられた。ユダヤ系オランダ人の美術商ハウスティカ氏が1万米ドルで落札した。

第二次世界大戦でオランダはナチスに占領され、ユダヤ系のハウスティカ氏は40年、亡命のため、事実上、所蔵美術品の売却を強制された。クラナッハ(父)の「アダムとイブ」はナチスのナンバー2だったゲーリングの手に渡った。戦後、米国軍がゲーリング邸で発見し、ハウスティカ氏の故国であるオランダに返還した。

1960年代にストロガノフ家の子孫の一人が「アダムとイブ」がオランダにあるのを見つけ、裁判で勝訴して返還を受けた。この子孫が70年代に米国の美術収集家ノートン・サイモン氏に売却。サイモン氏のコレクションがパサデナ美術館(現ノートン・サイモン美術館)に寄贈されたことから、今はこの美術館に「アダムとイブ」がある。

これまでにハウスティカ氏の息子の嫁が返還訴訟を起こしたが、米国の2裁判所で訴えが退けられた経緯がある。しかし、キエフの西洋東洋美術館では、ベルリンの競売で所有者の情報が偽られていたことを根拠に、「アダムとイブ」の所有権が法的に認められる可能性が強いとみる。

ウクライナ政府も米国に返還を働きかけていく意向で、請求に必要な新法を策定中だ。文化省でも長期的に返還が成ると踏んでいる。

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