ロシアのメドベージェフ大統領が28日、モスクワのルシコフ市長を解任した。先鋭化していた同市長との政争を解任という形で決着させたことで、自らの権力を公にアピールした形だ。政治専門家の間では、2012年の大統領選に備え、権力基盤の構築に入ったとの見方もある。
\ルシコフ氏は権力争いの激しいロシアで優れた政治感覚を発揮し、1992年以来、18年にわたってモスクワ市長を勤めてきた。しかし、メドベージェフ大統領の政治手腕については、見当が外れたようだ。
\ルシコフ氏はメドベージェフ大統領が就任した2008年、連邦を構成するバシコルトスタン共和国のラキモフ大統領及びタタルスタン共和国のシャイミエフ大統領と共同で、地方自治体首長の大統領任命制を廃止し、公選を復活させることを要求した。その結果、両大統領は国営メディアによる大々的な攻撃を受け、今年に入ってから退任を余儀なくされた。
\ルシコフ氏への圧力も高まったと推測されるが、これを受けて同氏は対立路線を強めた。森林火災でモスクワがスモッグに包まれる最中にオーストリア休暇に出かけたことが批判されたときには、声を大にして反論した。さらに、モスクワ―サンクトペテルブルグ間の高速道建設計画をメドベージェフ大統領が一時中断したことに対しては、政府機関紙に批判論文を発表した。このほかにも、大統領府が駐車スペースの使用料をモスクワ市に払うべきだと発言するなど、挑発的態度が目立った。
\メドベージェフ大統領は、ルシコフ氏の汚職疑惑を国営テレビで大きく取り上げるという反撃に出た。モスクワの大規模な都市開発が、ルシコフ夫人の経営する建設会社の急成長と結びついている事実は、以前から中立メディアの関心を引いてきたが、今まではルシコフ夫妻が損害賠償訴訟を起こして勝訴するという経緯をたどっていた。これが一転して、プライムタイムの報道番組で取り上げられたこと自体が、ルシコフ氏の市長としてのキャリア終焉を告げていた。
\大統領はまず、ルシコフ氏に自ら辞任するよううながし、1週間の猶予を与えたが、同氏が27日に留任の意思を示したため、その翌日、解任という強硬手段に出た。1週間のオーストリア休暇から戻った初日のことだった。
\大統領は解任の理由として「(ルシコフ氏に対する)信頼を失った」ことを挙げた。また、将来的にも必要と認めれば解任権を行使する姿勢を明らかにし、地方首長の動きをけん制している。
\プーチン首相は、ルシコフ氏が大統領との良好な関係を構築できなかったことが理由とコメントし、大統領の判断を支持した。一方、政権党である「統一ロシア」の結成に尽力し、首相の権力基盤を支えたルシコフ氏が欠けることで、大統領復職の目論見に狂いが出る可能性もある。このため、ルシコフ解任がメドベージェフ大統領とプーチン首相の水面下の政争を意味すると指摘する政治評論家もある。いずれにしても、来年の国会議員選挙、再来年の大統領選挙を控え、ロシア政界の動きに対する注目度が高まるのは間違いない。
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