エルドアン政権の下で目覚ましい成長を続けてきたトルコ経済だが、その陰で多くの人が犠牲になっている。安全よりも成長を優先させた結果、あってはならない事故が多発し、仕事中の死亡者は昨年、1,730人にも上った。
イスタンブールの新市街、活気みなぎるイスティクラル通りに毎月第1日曜日に遺族が集まってくる。亡くなった場所や理由はさまざまだが、いずれも安全管理がおざなりになっていたことで身内を奪われた人ばかりだ。
セマさん(35)の妹セリーンさんは4年前に27歳で亡くなった。連続ドラマの撮影チームの一員として働いていたある日、撮影現場の学校で食事をとろうとしたところ、休憩室がなかったため外に出て歩道に座った。わずか数分のことである。その間に、スピード違反のケータリング会社の自動車にひかれたのだった。
運転手は60歳の年金生活者。6年ぶりにハンドルを握ったばかりで、保険にも加入していなかった。
エルディンチさん(50)は2年半前に息子のエレン君を16歳でなくした。エレン君は新社会人として広告会社に勤めていた。その日は民間病院の壁に新しい広告を取り付けようと、横の建物の屋根に上った。同僚とはしごを担ぎ、上に伸ばしたところで感電した。154キロボルトの高圧電線が屋根の上わずか2メートルのところに通っていたのだ。エレン君は死亡し、同僚も大けがを負った。
弁護士のベリンさんは2014年、従兄弟2人をソマ炭鉱爆発事故で亡くした。事故後の調査で坑内の一酸化炭素濃度が基準を大幅に上回っていたことが分かった。センサーが働いた時点で作業員を外へ脱出させるべきだったが、現場監督は見て見ぬふり。坑内に避難所はなく、ガスマスクで耐えられる時間はわずか45分に過ぎなかった。
現場を訪れたエルドアン首相(当時)は「このような事故は避けようとしても避けられない(運命だ)」という内容のコメントを出した。遺族はこれを「欲のために命を犠牲にする」体質の象徴とみる。
「なぜ撮影現場に休憩所がなかったのか」、「なぜ運転手が保険に加入していなかったのか」、「高圧線の設置規定では屋根との距離が最低5メートルになってるはずだ」…いったい誰が法律を作っているのか、当局はなぜ違反を摘発できないのか。怒りは増すばかりだ。
遺族を支援する弁護士の一人、ムラートさんは「行政の責任」と説明する。行政による企業の検査・調査はほぼない状況で、かつ、公務員はトルコ法によって、事実上、訴追することができない。
一方、企業側は弱い者に罪を負わせる。裁判でも、有罪となるのは末端の者ばかりだ。セリーンさんの場合は運転手が懲役4年となった。炭鉱爆発事故は昨年に裁判が始まったが、公務員は訴追対象から除外された。被告人のほとんどは事故で亡くなったエンジニアの責任だと主張している。
エレン君が感電死した電線は、いまでも同じ位置にある。これでは遺族が「無駄死にだ」と思うのも無理ないではないか。