皇帝は神聖なり~ロシア

ロシア最後の皇帝(ツァーリ)の苦悩を描いたアレクセイ・ウチテル監督映画「マチルダ」が10月23日、サンクトペテルブルグで封切りされた。しかし、ポスターもパンフレットもなく、上映場所のサンクトペテルブルグ・マリインスキ劇場の日程にも載らず、情報通のみぞ知る、ひっそりした公開だった。その理由は、この映画を敵視する「ロシア正教系武装集団」の過激な反対運動にある。

ことはクリミア半島で検察官だったナターリャ・ポクロンスカヤ下院議員が1年前に「マチルダ」を「国を冒涜(とく)する映画」と攻撃したのに始まる。実はこの話、最後の皇帝となるニコライ2世(1868~1918年)が独身時代に惚れ込んでしまったマリインスキ劇場のプリマ・バレリーナ、マティルダ・クシェシンスカ(1872~1971年)との恋愛劇なのだ。ドイツのアリックス・ヘッセン・ダルムシュタット大公女(後のニコライ2世皇后アレクサンドラ・フョードロヴナ、1872~1918年)と結婚を誓いながら、ニコライは絶世の美女で当時欧州一の踊り手だった彼女に心を奪われてしまった。約2年間、恋愛関係を続けるが、皇太子としての責任を果たそうと決意してロマンスは終焉した。

これだけだと、見方によれば「ニコライ偉い!」という風に落ち着きそうだが、ポクロンスカヤ議員の目の付け所は違う。ニコライ2世とその家族は赤軍に殺された「殉教者」として2000年にロシア正教会から「聖人」として認定されている。議員にとっては、「聖人」の濡れ場を描く映画は、「聖人冒涜」、「ロシア正教会を冒涜」、ひいては「ロシアを冒涜する」ものなのだ。演技力を買われてニコライ2世役に選ばれたラース・アイディンガーがドイツ人だったというのも気に障ったようだ。

ロシア正教会も上映禁止を求めたため、多くの信者が反対陣営に加わり、抗議行動に参加した。過激集団「神聖なるロシア・キリスト国」は、上映館の放火を予告したり、実際に上映予定館に車で突っ込んで火事を起こしたりと騒ぎを大きくした。そのせいで、ほとんどの映画館は上映予定を見直したという。上映した場合でも、封切り前の試写会には武装警察官が警護に当たり、主演男優アイディンガーは初演日の舞台挨拶出席を見送ったというほどの警戒ぶりだった。

しかし、ドイツの映画評論家によると「マチルダ」は「欧州の観客にとってはスキャンダラスでも何でもない」、「うまく撮っていて気持ちよく観られるが、何かを掘り下げるような名画ではない」とコメント。ロシアはともかく、国外では上映をめぐる揉め事が話題とならなければ、それほど注目を集めなかったかもしれない。

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