ナチス・ドイツが第二次世界大戦末期にポーランドの下シレジア地方に「財宝」を隠したという伝説は有名だが、その隠し場所についての新説が世間を騒がせている。オポーレの団体「シレジアの橋」が、「親衛隊員エゴン・オレンハウアー日記」を根拠にお宝の「在りか」を発表したためだ。5年前の「黄金列車」と同じように現地では「宝探し」の機運が高まっている。
「シレジアの橋」のフルマニアク氏によると、問題の日記はドイツ中部クウェドリンブルクのフリーメーソン団体を通じて譲り受けた。元の持ち主名は「本人の意向により」伏せている。
日記によると「金の延べ棒と金の宝飾品、レンブラント、ラファエル、デューラーの絵画」が「11カ所に分けて」隠されたという。日記の真贋については「ドイツ側で本物と鑑定した書類」があるが、「シレジアの橋」はその鑑定書(のコピー)も持っていない。フルマニアク氏は、「政府に独自の鑑定を行うよう要請したが、動きがない。このため、隠し場所のうち1つの名を公表して政府に対応をうながすことにした」と説明した。
さて、肝心の隠し場所だが、「日記」によると、ヴロツワフの西方約60キロに位置する小さな村ロズトカがそれだ。村のはずれにある城の地下60メートルに金28トンが眠っているという。日記には「井戸に隠した後、井戸自体を爆破した」とあるが、当時の地図には井戸が記されておらず、敷地を調べることになった。
2年前に城を買ったというシニエジェク夫妻はこのニュースにびっくりした。夫人は取材に対して「夜も眠れない。おとぎ話の夢の中にいるようで、目覚めたくない気がする」と興奮気味だ。
一方、『ヴァウブジフの黄金列車』の著書のあるジャーナリスト、ヨハナ・ランパルスカさんは、証拠となる「日記」がきちんと鑑定されていないとみる。「政府は問い合わせに対して『鑑定するも何も、日記自体を預かっていない』と言っている。本当に鑑定書があるなら、「シレジアの橋」のほうが政府にこれを示して説明するのが筋だろう」と話す。
ナチスの貴重品運搬については、1945年2月15日、ソ連軍がヴロツワフを占領する3週間前にナチスが西方に運んだといううわさがあるが、確かな証拠はない。同時に、シレジア地方のソヴィ山地には強制収容所の収容者や強制徴用者を動員して掘られた地下道の存在がある。どこにどう通路があるのか今でもよく分かっていないところから、「ここに宝物が隠されている」という想像が人の心を躍らせるようだ。
今回も空騒ぎになりそうだが、老木茂るロズトカ城の庭がめちゃめちゃに掘り返される前にフィーバーには去ってほしいものだ。(「黄金列車」については東欧経済ニュース2015年9月9日号「ナチスの『黄金列車』発見か」を参照)