ブラジルにはウクライナ系の人が実に60万人も住む。本国を除けば世界で4番目にウクライナ人の多い国だ。
ウクライナ系ブラジル人の住む南部パラナ州の村々は、19世紀のウクライナをタイムカプセルに閉じ込めたかのようにみえる。玉ネギ形の塔を持つ木造教会がまず目に入る。そして、その横には農家が建つ。日曜日には刺しゅうを施したシャツ(ヴィシヴァンカ)を身に着けた人々が集まる。
話し言葉も昔のままだ。移住一世の出身地であるガリツィア地方で100年以上も前に話されていた方言がそのまま使われている。
ウクライナ人のブラジル移民が始まったのは19世紀末。奴隷制が廃止され、プランタージュでの労働力が不足していたため、ブラジル政府は旅費まで払って欧州からの移民を受け入れた。これに応じた人々の中にウクライナ人がいたというわけだ。ほとんどが、当時、オーストリア・ハンガリー帝国の統治下にあったガリツィア地方出身者だった。
衣食と豊饒な土地を約束されてブラジルへ渡ってきたが、着いてみればそれは全て反故にされた。町から遠く離れた未開の土地を与えられ、作物をどう育てるかの知識もなく、多くの人が病気や飢えに倒れていった。その苦しみは著名な作家であるイヴァン・フランコの詩「ブラジルへ」でも描かれた。待遇の悪さが知れたこともあり、19世紀に入ってからは次第にカナダを移住先に選ぶ人が増えた。
その後、1907年から14年までは、ブラジル政府がパラナ州を通る鉄道幹線工事のために募ったウクライナ人が定住した。1940年代末はソ連による弾圧を逃れて亡命して来た人が住みついた。
パラナ州のプルデントーポリス郡はウクライナ系の人が多い土地だ。首都プルデントーポリス市は人口の75%がウクライナ系。それもあって、今月には同郡の公用語にウクライナ語が採用された。