ルーマニア北部にある人口3,000人のサプンツァ村。ここに観光客が現れたときは、墓地が目当てと思っていい。といっても、怪談やホラー趣味というわけではない。この村の墓地は色鮮やかな墓碑が並ぶ「陽気な墓地(Cimitirul Vesel)」なのだ。
墓碑は正教のならわしに基く、屋根をかぶった十字架。違っているのは、故人の人となりや運命を描いた素朴な絵と詩が掘られた板がついているところだ。肖像とともに、故人がいい人だったのか悪い人だったのか記される。また、その人の身に何か特別のことが起こったときには、その場面が描かれる。例えば、交通事故で亡くなったことがわかるものもある。
墓碑のデザインを考えるのはドゥミトゥル・ポプさん(66)だ。生前に墓碑を注文する人もあるが、実際のデザインを決めるのは彼一人。悪いことも隠さない。例えば、故人が酒飲みだった場合にはその事実が「永遠に」記録される。「酒は苦労と悲しみをもたらす蛇。酒が好きな者は私と同じような目に遭うだろう」といった具合だ。
故人の短所を冗談にする意図はない。ポプさんは「皮肉なんかじゃない。大体、人が死んだっていうのに笑うわけがない」と話す。「故人の人生を絵にする――これは人間と死が対話しているようなものさ。こういう墓碑で対話が可能になるっていうわけだ」という。
村にこのような墓碑が建つようになったのは1935年からだ。この年に村の芸術家スタン・ヨン・パトラシュさんが、亡くなった親戚のために、その人生を語る墓碑を作った。これを見た村人がパトラシュさんに墓碑を頼むようになった。
パトラシュさんが亡くなったのは1977年。作った墓碑は約700本に上った。自らの墓碑には「14歳で親から独立して苦労しながら有名な芸術家となり、62カ国から訪問客を迎えた」人生を刻んだ。
後を継いだのが、パトラシュさんの弟子だったポプさんだ。墓碑製作の報酬は数百ユーロと、基礎年金の月額が80ユーロ程度の地域にしては高額で、安定収入が得られる。外国から受注することもあり、英国やドイツ、米国にも作品を送った。
悩みは後継者がいないこと。ポプさんも60代後半と若くはない。このまま希望者がいなければ、村の伝統も絶えてしまうと心配している。