チョコレートといえば、好きではない人を探す方が難しい。嬉しいときも悲しいときも、ストレスがたまったときも、人と集まったときも、チョコならいつでもOKだ。なじみのあるブランドは、英国のキャドバリーやドイツのミルカなどかもしれないが、ハンガリーにも美味しいチョコはある。1人当たりの年間消費量(2.9~3キロ)もそれを裏付ける。
そんなハンガリーのチョコとの出会いは18世紀にさかのぼる。騎兵士官のジョルジ・パロチャイ男爵が、戦から戻った1704年、上流階級のテーブルに登場した新しい飲み物を試した。それは不透明な黒い液体で、苦かったために男爵は「ドイツのビール」と嫌ったという記録が残っている。
ハンガリーにチョコを持ち込んだのはイタリアの手工業者らしいが、当時、これを売っていたのは薬店だった。というのも、国によってチョコは「化学品」に分類されていたからだ。
それから100年余りたった1830年代、ハンガリーの近代化に功績のあったイシュトヴァーン・セーチェニの家庭医を務めたパール・アルマーシ・バログは、コーヒーとお茶、チョコを扱った本で、カカオ豆の原産地などについて記した。しかし、カリブ海に住む人々が「チョコとバターを混ぜたものを顔に塗って肌を白く見せる」などという、現在の基準では差別的な話も書かれていた。
しかし、甘いチョコのファンが増えるにつれて、社会のとらえ方も変化する。ハンガリー初のチョコ職人は1868年開業のフリギェシュ・シュテューメルで、「フルッティ」や「バラトン」といった商品で知られる。なかでも、創業者の孫の名をつけた「ティビ」は1941年の発売以来、今に続くロングセラーだ。
19世紀後半のチョコについては、多くの発明家が特許を申請した。◇薬にチョココーティングを施してのみやすくする◇錠剤を粉末にしてコンポートやジャム、チョコに混ぜる◇ココアと砂糖、乳脂、水を混ぜて煮詰めて冷まし、クエン酸とブドウ蒸留酒を加える――といった記録が残っている。
20世紀にはいると、もっと美味しそうなものが出てくる。第2次世界大戦前に特許を取得したエアインチョコもその一つだ。気泡が入っているので、とろけるような食感が楽しめる。しかし、それ以外にも長所があり、特許の説明には「かさが2倍になるため、原材料の節約につながる」とある。景気の悪い時期の知恵というわけだ。ほかにも綿菓子入りチョコキャンディや、あやつり人形、オーナメント(飾り)、おもちゃをかたどったチョコが登場した。