大規模な破壊力を持つ不発弾の処理が3日(日)、フランクフルトで行われた。ごく一部の住民が退避命令を拒否したことから予定よりも時間がかかったものの、作業は18時半に無事終了。住民はその日のうちに帰宅できた。退避した住民は6万人を超え、戦後ドイツで最大となった。
不発弾はフランクフルト大学ヴェストエンド・キャンパスの工事現場で8月30日に見つかった。英軍が第二次世界大戦中に投下した「ハイ・キャパシティ(HC)4000」という爆弾で、重量は1.8トン(弾薬1.4トン)と極めて大きい。焼夷弾の効果を高めるための爆弾で、広範囲にわたって家屋の屋根と窓を破壊することを目的としている。
仮に爆発すると、周辺100メートルの建物は完全に破壊され、最大2キロ圏内の家屋が被害を受ける恐れがあったことから、当局は様々な事情を考慮したうえで1.5キロ圏内に退避命令を出した。圏内には市警本部と州放送局(ヘッセン放送)本部、連邦銀行(中銀)本店、アルテ・オーパー(クラッシック用コンサートホール)などの重要施設のほか、大病院と老人ホームもあることから、退避は数日をかけて実施。大病院では1日から入院患者の退避を開始し、2日に完了した。ヘッセン放送は消防署内にスタジオを仮設し、3日早朝から不発弾処理の生放送を続けた。
一般住民は3日8時までに退避地区の外に出ることを命じられていた。退避期限時刻が早いことから、前日に自宅を出て旅行や圏外の友人宅に向かう人も多かった。
ほとんどの住民は期限時刻までに退避を完了した。自宅で介護を受ける人は各地から支援に駆け付けたレスキュー隊が輸送を引き受けた。
警察は8時から圏内の建造物をしらみつぶしに巡回し、住民が残っていないかどうかをチェック。残っていた住民に対しては、圏内に一人でも人がいると不発弾処理作業を開始できないことなどを説明し、速やかな退去を促した。外国人の一部は不発弾処理が行わることを知らなかったという。警察は熱感知カメラ搭載のヘリコプターを投入して、建物内に人が残っていないかどうかを空からも確認した。
退避は不発弾処理の開始予定時刻である12時までにほぼ完了したものの、ごく一部の住民が一時退去を拒否したことから、警察はバルコニーから住宅に入るなどして身柄を拘束し、強制的に退去させた。
不発弾処理は予定より2時間半遅れの14時半に始まった。起爆装置は計3つあり、1つ目は30分足らずで取り外しに成功したものの、残る2つは難易度が高く、時間がかかった。
当局は見本市会場とコンサート会場(ヤールフンダートハレ)を退避場所として提供。また、市内の博物館を無料で見学できるようにした。一部の市民はSNSで呼びかけ、退避者に自宅を開放して朝食を提供するなどの便宜を図った。
不発弾処理の終了後も交通規制はしばらく続いた。まずは入院患者と老人ホームの入居者を病院・ホームに輸送することを優先したためで、退避地区の入り口で規制解除を待つ住民もいた。