リトアニアの「血の日曜日」事件から今月13日で30年が経過した。1990年3月にソビエト連邦構成国として初めて独立を宣言したリトアニアの首都ビリニュスに、ゴルバチョフ書記長(当時)が軍を派遣した事件だ。迎撃できるようなまともな装備もないなか、数万もの市民が素手でバリケードを築いて対抗し、死者14人、負傷者700人以上の犠牲を出した。ゴルバチョフ書記長は予想していなかった抵抗の大きさに軍を撤収した。リトアニアの独立実現は、他の加盟国のソ連離脱を招き、ソ連解体を加速した歴史的事象と捉えられている。
リトアニアは毎年1月13日、夜通しかがり火をたき、音楽を演奏するなどしてを犠牲者を悼むが、今年は新型コロナの影響でほとんどがオンラインで開催された。イングリダ・シモニテ大統領は「自由のために大きな代償を払った事実を忘れない」と話し、記念日のシンボルである忘れな草を身に着けた。ウルズラ・フォンデアライエン欧州委員長も「今日の欧州連合(EU)があるのはリトアニアで自由を守るために戦った人々の勇気のおかげ」とその意義を強調した。
今年はまた、ベラルーシの反政府運動に連帯する立場が明確に示された。リトアニア議会は毎年1月13日に授与される平和賞に、野党候補として大統領選に出馬し、リトアニアに亡命中のスヴェトラーナ・チハノフスカヤ氏を選んだ。非暴力でルカシェンコ政権に抵抗する市民の姿に1991年のリトアニア市民が重なる。
リトアニアでは、すでに1990年代にソ連時代のリトアニア人高官6人に有罪判決が下ったが、最近になってロシア人やベラルーシ人にも訴追の幅を広げている。2019年には元ソ連防衛相など13人のロシア人に対して、ビリニュスの裁判所が欠席裁判で有罪を判決。ゴルバチョフ元書記長の尋問でもロシア当局に協力を要請した。
これに対してロシアは要請を拒否したほか、「不当判決」の疑いでリトアニアの判事に対する刑事訴訟手続きを開始している。大国であったソ連時代を懐かしむ人が多いといわれるロシアだけに、「ソ連崩壊の原因」を作ったリトアニアは「敵」として認識されているということだろうか。溝は深い。