ロシア軍がウクライナに攻め入ったとき、これに反対する全世界の人々が戦争を食い止めるきっかけとして期待をかけたものがある。ロシア兵士の母親たちだ。政治に関心が無かったとしてもわが子の行く末が気にならない親はない。実際、ソ連時代のアフガン戦争や、1990年代のチェチェン戦争で反戦デモを行い、捕虜交換や遺体回収などで活躍した過去もある。
しかし、今回の戦争で母たちの声は聞こえない。その理由は、プーチン政権が徐々に、しかし確実に言論の自由を廃してきたことにある。侵攻直後の抗議活動が徹底的につぶされたのは記憶に新しいが、表面化しないところでも束縛は強い。
サンクト・ペテルブルクで兵士の母の自助組織を運営するマリーナさん(仮名)によると、軍内の規律・法律違反の情報を集めたり広めたりすることが禁じられているため「法律相談はできず、一般的なアドバイスしかできない」という。
そんな状況を表しているのが、タチアナ・エフレメンコさんの例だ。黒海に沈んだ巡洋艦「モスクワ」に乗っていた息子の消息を確かめたくて「『兵士の母』に電話しても、電話番号を教えられただけ。全部かけてみたけれど、何もわからないまま」という。
一方で、政府の締め付けは国民一人一人も感じている。ナターリャさんは「兵士の母」の助けを受けて、ウクライナ戦線から息子を取り戻すことに成功した。でも、その事実を「大っぴらにしたくない」という。「息子がロシアに帰ってきたことは分かっている。今は家に戻るのを待つだけ」と話し、名字を公開しない条件で取材に応じた。
マリーナさんは、母親たちが受け身だから「反戦の声」にならないのだという。2回のチェチェン戦争のときも、最初に街頭に出て声をあげたのは母親自らで、「兵士の母」はそれを支援しただけだからだ。また、ロシアのクリミア半島併合以来、「正義の軍」神話を信じる人が多くなり、「いま何かしたところで、すぐには変わらない」状況になってしまったという。