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2011/10/12

コーヒーブレイク

ブラジル大統領、父祖の地を踏む~ブルガリア

この記事の要約

ブラジルのジルマ・ルセフ大統領(63)が先週、父の故郷であるブルガリアを訪問した。ブラジル大統領が同国を訪れた先例はなく、ジルマさんにとっても初めてのことだった。欧州連合(EU)の中で1人当たりGDPが最も小さいブルガリ […]

ブラジルのジルマ・ルセフ大統領(63)が先週、父の故郷であるブルガリアを訪問した。ブラジル大統領が同国を訪れた先例はなく、ジルマさんにとっても初めてのことだった。欧州連合(EU)の中で1人当たりGDPが最も小さいブルガリアだけに、経済関係の緊密化に向けた期待が高まり、父の故郷ではジルマさんの訪問を自称親族の30家族が待ちうけるという大歓迎ぶりだった。しかし、歓迎ムードとは距離を置いた親族もいた。

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ジルマさんの異母兄のリュベンさんと母を同じくするアナ・ペトロヴァさん(65)がその人だ。アナさんによると、リュベンさんとジルマさんの父であるペタルさんは1929年、経営していた繊維会社の借金と身重の妻を残してブラジルに逃避行した。昨年の大統領選挙中にはメディアが「共産党員であったがための迫害から逃れてソフィアを離れた」と報道したが、それは「うそ」と話している。「母と兄が味わった辛苦や見捨てられたという悲しみを思うとつらくなり、ジルマさんに会うべきかどうか分からない」と複雑な心境だ。

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アナさんによると、ペタルさんは「ハンサムで魅力的なばくち打ちで、おいしい酒と食事、そしてそれに関わる何でもが大好きな男性」として知られていた。当局はペタルさんを「詐欺を働いて逃亡した資本主義者」とみなしていたという。

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1944年に共産党が実権を握った後は、資本主義国への渡航が禁止され、残された妻子はペタルさんを探すことができなかった。50年代は1日1ドルで生活することを余儀なくされた。

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後にペタルさんは時々、ブラジルからリュベンさんに米ドル札を郵送してきた。当局に気づかれないよう、葉書の間に挟み、にかわで固めてあったという。1962年に亡くなったが、リュベンさんはブラジルの遺族から1,500ドルを受け取る代わり、一切の相続件を放棄した。

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ジルマさんは2004年にリュベンさんとの文通を開始。ダ・シルヴァ政府(当時)の閣僚として訪欧する際にブルガリアを訪れたいと書いてきたこともあるという。しかし、リュベンさんが一度、共産主義体制を強く非難する長文の手紙を出した後、こちらから手紙を出しても、しばらく返事が来なかったという。アナさんはジルマさんがリュベンさんの非難を受け入れられなかったのが理由と推測している。

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リュベンさんは心臓障害があったが、自ら薬の服用をやめ、07年に亡くなった。アナさんは、自ら死を選んだのだと考えている。「結局、兄とジルマさんは一度も会うことはなかった。今さら来ても、兄は死んでしまった」と落胆を隠さない。

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ジルマさんは父ペタルさんの経歴の真相についてはコメントを拒否している。

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