2015/10/14

コーヒーブレイク

体制転換の立役者去る~ハンガリー

この記事の要約

体制転換後、初のハンガリー大統領を務めたゲンツ・アルパード氏が6日永眠した。93歳だった。1956年のハンガリー動乱で反逆罪に問われて終身刑の判決を受けたが、共産主義を生き延び、民主制の確立に尽力した。ハンガリーの大統領 […]

体制転換後、初のハンガリー大統領を務めたゲンツ・アルパード氏が6日永眠した。93歳だった。1956年のハンガリー動乱で反逆罪に問われて終身刑の判決を受けたが、共産主義を生き延び、民主制の確立に尽力した。ハンガリーの大統領は儀礼的性格が強いが、ゲンツ氏は限られた力を巧みに用いて幼い民主主義の育成に尽力したと評価されている。

ゲンツ氏は1922年生まれ。第二次世界大戦下の44年に法学部を卒業し、農学も学んだ。終戦直前に徴兵されたが、ナチスと同盟を組むハンガリー軍を嫌い脱走。反ナチ・レジスタンスに加わり、ユダヤ人など迫害されている人を助けた。

終戦後の混乱期にも、保守の独立小農業者党(FKgP)の書記を務めるなど、政治活動をつづけた。同党は戦後初の選挙で圧倒的勝利をおさめたが、ソ連占領下で弾圧され、47年選挙で共産党に第1党の座を奪われた。その後、共産党は一党独裁体制を整える。

ゲンツ氏は錠前師、農学者として働いていたが、56年、民主化を求めるハンガリー動乱に参加。ソ連による軍事介入後、反逆罪で終身刑判決を受けた。

獄中で英語を学び、翻訳を始める。レーズ・アーダムが残した『指輪物語』の翻訳を完成させたほか、アーネスト・ヘミングウェイ、ソール・バリー、ジョン・アップダイクなどの著名作家の翻訳を手掛けた。川端康成『みづうみ』、谷崎潤一郎『瘋癲(ふうてん)老人日記』も訳し、日本文学を紹介した功績でも知られる。

63年、東西冷戦の緩和の脈絡の中で恩赦が実施され、釈放された。その後は作家、翻訳家として活躍した。

88年に反政府派の自由民主連盟 (SZDSZ)の結党に加わった。90年の議会選挙ではハンガリー民主フォーラム(MDF)が第1党となったが、野党の大統領統一候補となり、体制転換後初の大統領に就任した。

大統領としては、正当性が疑われる法律や、政府による公共機関の責任者指名などで、たびたび署名を拒否。支持率低下を懸念する政府がメディア規制強化を狙い、国営放送会長の解任を狙ったときも、反対姿勢を明確にし、報道の自由の守り手として知られるようになった。

2期、10年の任期を満了して2000年に退任した後は表舞台を去り、慈善活動に力を入れた。

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