先日のスロバキア国民議会選挙では予想にも増して同国の「右傾化」が鮮明となった。穏健路線を採用した急進右派政党「SNS」の議会復帰は想定内だったが、少数民族ロマの差別・排斥、反民主主義といったネオナチ政策をかかげる極右「我々のスロバキア(LS-NS)」が8%を得票して14議席を得るとは、どの世論調査機関も考えていなかった。
LS-NSを率いるマリアン・コトレバ氏(39)は、バンスカー・ビストリツァの出身。1939年、ナチスによるチェコ占領を機にスロバキアの「独立」を果たした親ナチのスロバキア人民党政権にならった、権威主義的政治体制の復活を目指している。
2003年に政党「スロバキア共同体」を結成し、自ら「指導者(フューラー)」に就任。スロバキア人民党の武装組織であるフリンカ防衛団を模した黒い制服に身を包み、挨拶や言葉遣い、態度まで真似ていた。
2009年にはスロバキア人民党政権樹立70周年デモで「Na straz(守りにつけ)」とあいさつしたことがファシズム賛美の疑いがあるとして告発された。無罪判決が下りたものの、「スロバキア共同体」は禁止された。
煩雑な結党手続きを逃れるため、コトレバ氏は既存政党「ワイン愛好家党」を乗っ取り、「LS-NS」に改名した。2010年と12年の選挙では5%を得票できず、阻止条項により議席は獲得できなかった。
一方、2013年のバンスカー・ビストリツァ郡首長選では決選投票で中道左派「スメル(方向)」の現職を破って当選した。炭鉱産業の衰退と高失業率といった地域的事情に原因が求められたが、今回の議会選挙で、「右傾」が全国的問題であることが明らかになった恰好だ。
コトレバ氏は自らの党が「民主主義という犯罪的な腐ったシステム」と「我が国の宝で私腹を肥やし、国民を売り飛ばす政党」に対する唯一の現実的な選択肢だと訴える。欧州連合(EU)・北大西洋条約機構(NATO)から脱退し、「NATO、米国、イスラエルの犯罪的政治」に関わらないですむよう、中立国宣言をするのが目標だ。
「宗教、国民、家族」の重視をうたい、イスラム信者の多い中東からの難民受け入れを断固拒否する。この点ではチェコやハンガリーの極右政党と一致し、協力関係にもある。
スロバキア人民党のフリンカ防衛団は戦時中にスロバキアのユダヤ人移送を実行した。ナチスと人民党に反対する1944年の民衆蜂起鎮圧後にはナチ親衛隊(SS)に編入され、数々の戦争犯罪に手を染めた。
しかし、スロバキアには人民党政権の過去を真っ向から批判する政党はない。「独立」の夢がファシストによって達成された不幸が現在の政治にも影を落とす。これは、クロアチアにおけるウスタシャ政権の位置づけとも酷似する。
過去を整理できていない現状が、LS-NSが支持を伸ばす地盤を作ったといえそうだ。