世界を救った男の死~ロシア

核戦争を防ぎ「世界を救った男」と呼ばれたスタニスラフ・ペトロフさんが、今年5月19日、77歳で亡くなっていたことが明らかになった。4カ月も世間に知られずにいた事情は後にして、まずはペトロフさんが誰なのかを紹介しよう。

時は1983年9月26日未明。領空侵犯した大韓航空機をソ連軍が撃墜し、米ソ関係が緊迫を増していたころのことだ。当時44歳のペトロフ中佐は、モスクワの南約100キロメートルに位置する極秘のミサイル早期発見センター「セルプホフ15」の勤務当番に当たっていた。

午前零時を回った直後に、早期警戒システム「オコ(目)」の警報が鳴った。警戒衛星が、米モンタナ州の基地からソ連に向けて大陸間弾道ミサイルが発射されたのを確認したという。ソ連幹部が対策を決定するまでに残された時間は発射から28分のみ。勤務兵は15分以内に上官に報告する義務を負っていた。

動揺する同僚をよそに、ペトロフさんは「誤作動の可能性が強い」と考えた。米国が先制攻撃をかけてくるとすれば、ソ連の被害を大きくするため、複数基地からたくさんのミサイルを打つはずだ――「100%正しいと思っていたわけではない(ペトロフさん)」が、上官には電話で「誤作動」を報告した。警戒衛星はさらに4発の発射を「探知」したが、ペトロフさんはこれも誤作動だと判断して報告した。

地上レーダーの測定値を基にミサイルが飛んでいなかったことが確認できたのは17分後。この間、ペトロフさんは「(イエス・キリストが処刑された)ゴルゴタの丘に登る前のような気持ちだった(=生きた心地がしなかった)」という。「仕事から上がった後にはウォッカの1リットル瓶を空け、28時間寝た」ほどの疲労困ぱいぶりだった。

数百、数千万の命、ひょっとしたら人類を滅亡から守ったのかもしれない、この勇断に対して当局の扱いは冷たかった。というのも、この誤報が、米軍基地の近くで太陽光線が雲に当たって反射したのを衛星がミサイルと勘違いしたためだったことが判明したからだ。表彰すれば、国防上、非常に大事なシステムに不備があったことが表に出る。体面を重んじるソ連政府は隠すことを選んだ。ペトロフさんも同僚も辞職を余儀なくされたという。

この大事な歴史の一コマは、ソ連崩壊後、ペトロフさんが発表した手記でようやく明るみに出た。ドイツ大衆紙『ビルト』の孫引き記事を読んだ葬儀屋のカール・シューマッハーさんは1999年、「ペトロフさんにお礼を言いたい」と自力で住所を探し出してモスクワを訪れた。ペトロフさんをドイツに招待したときの様子が地元紙に掲載され、これを機に米国でも功績が知られるようになった。2014年にはドキュメンタリー映画「世界を救った男(The Man Who Saved the World)」も撮影された。

それでもペトロフさんの死は長いこと世間には知られずにいたが、ここでもドイツのシューマッハーさんが扉を開いた。今月7日はペトロフさんの誕生日。いつものようにお祝いの電話をかけたところ、息子のディミトリーさんから死去を知らされた。シューマッハーさんが地元紙に訃報告知を出したのを機に、ロシアのメディアでも報道されたという。

ペトロフさんはドキュメンタリー映画の中で当時の行動について「自分の仕事をしたまでのこと。ただ、あの時に私が勤務していたのは良かったかもしれない」と話していた。そんな控えめな人柄を示すかのような、静かな旅立ちだった。

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