最古の首都はいずこ~ポーランド

ポーランドの首都はどこかと聞かれれば「ワルシャワ」と答えればよいが、これが「最初の首都」はどこだったかと聞かれると、なかなか難しい問題だ。邪馬台国の所在地ほどではないが、ポーランドでもこの問いには答えが出ず、定期的に論争が起こっている。

「最初の首都」候補には中西部のグニェズノ、ポズナニ、レドニツキ島、ギエチが名を並べる。後のポーランド王国の原型となったポーランド公国があった領域の町々だ。今回の騒ぎはグニェズノ市の入口に「ポーランド最初の首都」という看板が立てられ、これをトマシュ・ブダシュ市長がフェイスブックに投稿したのがきっかけとなった。

ブダシュ市長はテレビの取材に対して「ポーランド最初の首都がグニェズノにあったことは、子どもですら知っている常識。この事実を疑う人はグニェズノに嫉妬してるか、コンプレックスがあるかどちらかだ」と話した。これに対し、「ライバル」のポズナニのイェンジェイ・ソラルスキ市長は冷静さを強調しつつも、「我々は自身の価値を自覚しているので、(キリスト教化のきっかけとなった)ミェシュコ1世の洗礼がどこで行われたか、ポーランド最初の首都がどこだったか、初の司教座がどこに置かれたか、初期の統治者の墓がどこにあるのか――こういうことで看板を立てる必要はない」と切って捨てた。ポズナニはポーランド初の大聖堂が立てられ、初期の統治者の墓のある地だ。それでも「真のポーランド最初の首都」などと主張しようとは思わない、というわけだ。

歴史家は自治体間の小競り合いに「理解できない」と頭を振っている。歴史家で考古学者でもあるヤヌシュ・ゴレツキ氏は、そもそも「首都」という概念が歴史的事実にそぐわないと説明する。「『首都』が統治者の住む場所と定義するなら、中世初期には首都がいっぱいあったことになる。というのも、当時の統治者はいろいろな土地を回っていたからだ。ポーランド王国の原型を作ったポーランド公・ミェシュコ1世はグニェズノ、ポズナニのほか、レドニツキ島、ギエチにも滞在したことがわかっている」という。ちなみに、歴史的証拠のある最古の首都は、クラクフということになる。

ポーランドは10世紀後半にミェシュコ1世が統一し、ポーランド公国を建国したのが基になっている。996年のミェシュコ1世の洗礼でキリスト教化が進んだ。「ポーランドの洗礼」と呼ばれるこの出来事の1050周年が祝われた2016年にも、グニェズノとポズナニが論争したのは言うまでもない。

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