ドイツ連邦銀行(中央銀行)のティロ・ザラツィン理事が8月末に出版した新著とその前後に行った発言がドイツ社会を大きく揺さぶっている。同理事が展開する議論にはイスラム教徒に対する偏見や人種差別が含まれているためで、ドイツの主な政治家は与野党を問わず解任を要求。連銀理事会は2日、これに押される形でザラツィン理事の解任をクリスティアン・ヴルフ大統領に申請した。ただ、トルコ人などイスラム系移民には失業者や学業を放棄する生徒が多く社会統合上の問題となっているのも事実で、今回の出来事は移民政策をめぐる論争にも発展しつつある。
\同理事の新著は『消えゆくドイツ(Deutschland schafft sich ab)』との表題で、出生率の低下や移民・下層階級の増加がドイツの社会・経済にもたらす影響を分析し、政策的な提言を行っている。経済学者らしく統計データを数多く活用しており、分析内容には実証的なものも多い。
\ただ、ザラツィン理事はイスラム教徒に対し知識人らしからぬステロタイプな偏見を持っており、これが今回の問題の発火点となった。
\同氏は出版前後に行った一連のマスコミインタビューの中で、東欧や西欧、極東出身の移民の第2世代が統計的にみて労働市場にスムーズに適合しているのに対し、イスラム系2世では失業や生活保護への依存が目立つと指摘。その原因をイスラム教の文化的な特徴に帰した。
\これは一見もっともらしくみえる見解だが、社会現象は複合的な要因が絡まって起こるもので、1つの原因に帰せるほど単純でないのは学問の常識である。ザラツィン氏の分析にはどういった社会層の移民がイスラム諸国から主に流入しているのか、あるいはドイツの移民受け入れ体制に問題はないのかといった視点が欠けており、片手落ちの感は否めない。
\経済協力開発機構(OECD)の国際比較調査によると、移民系の生徒に占める就労チャンスのほとんどない子供の割合はドイツで40%に達すのに対し、カナダでは9%にとどまる。ボストンコンサルティングはこの問題の原因が移民統合政策の不手際にあると指摘、政策を抜本的に改めることを勧めている。
\ \「ユダヤ人特有の遺伝子がある」
\ \イスラム系市民に対するザラツィン氏の偏見は以前から知られており、今回もそれだけならば解任問題にまで発展しなかった可能性が高い。問題を大きな政治問題に発展させたのは8月29日付『ヴェルト・アム・ゾンターク』に掲載されたインタビューでの発言である。
\同氏はその中で「すべてのユダヤ人は彼らを他の民族から分かつ特定の共通した遺伝子を持っている」と言い切ったのだ。これはユダヤ人を劣等民族として虐殺したナチスの人種差別思想と何ら変わらない主張で、ユダヤ人団体は「ザラツィンはとうとう一線を超えた」と批判。メルケル首相もドイツの看板とも言うべき連銀の信用を著しく傷つけたとして解任を強く促した。ザラツィン氏が属する中道左派の社会民主党(SPD)は近日中に除名手続きを開始する。
\連銀理事の解任は法律的に難しい。政治的な介入から中央銀行の独立性を守るため高いハードルが設定されているためで、法律家の間からはザラツィン理事の解任は違法との指摘も出ている。それにもかかわらず連銀の理事会はザラツィン氏の解任要請を全会一致で決議した。
\ \市民の2割がザラツィン氏支持
\ \ザラツィン氏の新著は売れ行きが極めてよく、これまでに6刷25万部が発行された。イスラム系移民に対し不安や嫌悪感を持つ市民が増えていることが背景にある。
\世論調査機関Emnidのアンケート調査では「ザラツィン氏が新政党を結成するのであれば投票する」との回答が約18%に上った。この割合は特に急進左派の左翼党の支持層で高く、29%に達している。
\今回の問題を受け、政治家の間からはこれまでの移民政策が不十分だったとの反省が出てきた。メルケル首相は移民の統合を過去30年間もなおざりにしてきたつけは大きいと指摘したうえで、「統合は権利であるとともに義務である」と明言。社会に溶け込むために必要なドイツ語の習得義務などをこれまでよりも強化する考えを示した。
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