アドルフ・アイヒマンというナチスの戦犯がいた。ユダヤ人の強制移送・虐殺計画の決定に関与し、鉄道移送の最高責任者となった人物だ。1960年に潜伏先のアルゼンチンでイスラエルの諜報機関モサドに逮捕され、62年に死刑となったことから、最終階位がそれほど高くないにもかかわらず、その名を知る人は多い。
\この人物について最近、大衆紙『ビルト』がこれまで知られていなかった事実を報道し、ちょっとした話題となっている。
\アイヒマン逮捕は戦後ドイツの諜報機関BNDが米国の諜報員に情報を提供したことがきっかけとなった。これは米CIAが2006年に公開した文書で分かっている。
\だが、ビルト紙がこのほど公開された国内文書に基づいて報じたところによると、BNDの前身であるゲーレン機関は52年の時点でアイヒマンがアルゼンチンに隠れ住んでいることをつかんでいたようだ。文書には「アイヒマン大佐はエジプトにはおらず、クレメンス(CLEMENS)という偽名でアルゼンチンにいる」と書かれているという。
\ゲーレン機関とBND(55年設立)がこの事実をイスラエルや米国に数年間、伝えずにいたのはどうしてなのか。これが関心を呼ぶ点である。
\ゲーレン機関はもともと、ナチスの対ソ連諜報活動を担ってきたラインハルト・ゲーレンが中心となって設立され、身内には戦犯容疑者が数多くいたという事情があり、アイヒマンの情報を意図的に伏せたとも考えられる。
\ \冷戦で戦犯問題は後退
\ \だが、そうした可能性は小さいようだ。姉妹紙『ヴェルト』によると、イスラエルなどに情報を伝えなかった理由は大きく分けて2つ考えられるという。
\1つは情報の精度が低かったことで、前記の引用文中には事実関係の誤りが2つ含まれている。アイヒマンンの階位と偽名がそうで、階位は大佐でなく中佐、偽名のつづりも「CLEMENS」でなく「KLEMENT」が正しい。本人の名前が名字しか記されていない点は情報の信頼性をさらに引き下げていげる。戦犯アドルフ・アイヒマンに関しては当時、さまざまな情報が飛び交っており、不確かな情報を国外の諜報機関に提供することははばかられただろう。
\冷戦が深刻化していたという事情はそうした姿勢を強めさせたとみられる。米国はソ連対策で手がいっぱいで、ナチスの戦犯探しは軽視されていたのだ。建国から間もないイスラエルも周辺のアラブ諸国に抗して国家を存続させることが最優先課題となっており、「アイヒマンには関心を持っていなかった」とはナチスの戦犯追求で有名なユダヤ人サイモン・ヴィーゼンタール(1908~2005)の証言である。ヴィーゼンタール自身もアイヒマンがアルゼンチンに潜伏しているとの情報を53年春に独自ルートで得、イスラエルや米国に伝えたが、無視されたという。
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