自動車大手の独フォルクスワーゲン(VW)グループを長年に渡って統率したフェルディナント・ピエヒ前監査役会長が25日、死亡した。同氏はVWを世界最大手メーカーに躍進させた立役者。VWは27日付の声明で功績をたたえるとともに哀悼の意を示した。
メディア報道によると、ピエヒ氏は25日夕、独南部のローゼンハイムのレストランで食事中に倒れ、搬送先の病院で死亡した。享年82。
同氏は「ビートル」の愛称で有名な小型車を開発したフェルディナント・ポルシェ氏の母方の孫として1937年、墺ウィーンで生まれた。スポーツ車メーカーのポルシェで1962年に技術者としてキャリアを開始。72年にVWの高級車子会社アウディに移り、四輪駆動車や直噴ディーゼルエンジン車を世界で初めて量産した。88年にアウディ社長、93年にVW社長に就任。2002年から15年にかけてはVW監査役会長を務めた。
VWでは事業の国際化やプラットホームの共通化を推進。スカニアとMANの買収を通して商用車事業も大幅に強化し、世界最大の自動車メーカーになるという目標に向けて邁進した。監査役会長時代にはピエヒ家とポルシェ家によるVWの買収も実現している。
ピエヒ氏は監査役会長として絶大な権力を持ち、後任のベルント・ピシェツリーダー社長(当時)を実質的に更迭。アウディの社長であったマルティン・ヴィンターコルン氏を07年にVW社長へと就任させた。
ヴィンターコルン社長(当時)の下でVWグループは業績を急速に拡大した。このため同社長とピエヒ会長は良好な関係を保っていたものの、米国事業の不振やVWブランド乗用車事業の利益率低迷を受けてヴィンターコルン社長に対するピエヒ会長の信頼感は低下。ピエヒ会長は同社長の解任を画策したものの、他の主要株主や監査役の支持を得られず、15年に辞任へと追い込まれた。
ただ、ピエヒ氏の功績自体は極めて大きく、VWのハンスディーター・ペッチュ監査役会長は「フェルナンド・ピエヒ氏は自動車の歴史を作った。情熱的な経営者、天才的な技術者、先見の明のある事業家として」と賛辞を贈った。