欧州連合(EU)域内で業務を行う雇用主は各被用者の労働時間をすべて記録しなければならない――。EU司法裁判所(ECJ)は昨年5月の判決(訴訟番号:C-5/18)でそんな判断を示すとともに、同記録義務を法制化するよう加盟国に命じた。
ドイツではこの判決に基づく法律が現時点で制定されていない。では、労働時間を記録していない企業で被用者と雇用主が実働時間を巡り裁判で争った場合、雇用主には実働時間の証明義務があるのだろうか。この問題に絡んだ裁判でエムデン労働裁判所が2月に判決(訴訟番号:2 Ca 94/19)を下したので、ここで取り上げてみる。
裁判は建設会社で18年秋に7週間、働いた元被用者が同社を相手取って起こしたもの。裁判では原告が計195.05時間、勤務したと主張したのに対し、被告は183時間だったと反論した。
原告は勤務時間を記録した自身のメモを裁判証拠として提示した。これに対し被告は建設作業の経過を記録した「建設日報」を根拠に実働時間は183時間だったと主張した。
エムデン労裁はこの係争で、被告は明確な事実に基づいて原告に反証することができなかったとして、実働時間を195.05時間と認定。未払いとなっている12.05時間の賃金支払いを被告に命じた。判決理由で裁判官は、建設日報は各被用者の実働時間を記録しておらず、被告の反証は不十分だとの判断を示した。具体的には労働契約で労働時間扱いとなっている建設現場への移動時間や準備時間が建設日報には記録されていないことなどを問題視した。
ドイツの労働時間法(ArbZG)では、残業時間を記録することを雇用主に義務付けているものの、所定労働時間を含む実働時間については義務付けていない。このため雇用主にはこれまで、実働時間を証明する義務がなかった。
だが、労働時間の記録に関するArbZGの現行規定は欧州司法裁の昨年5月の判決でEU法違反が確定したことから、エムデン労裁の裁判官は同判決に基づき、実働時間に関する原告の主張への反証を被告雇用主に要求した。
同労裁は控訴を認めていることから、今回の判決は確定していない。ただ、ArbZGの現行規定はEU法に合致していないことから、上級審の裁判官もEU法に基づく判決を下す可能性がある。企業は実働時間を巡る裁判に備えて労働時間を正確に記録しておいた方が良さそうだ。
■ECJの判決(C-5/18)
裁判はスペイン労組CCOOがドイツ銀行の現地法人を相手取って起こしたもの。同法人では被用者が実際に労働を行った時間のうち残業時間のみを記録するルールを採用していた。これはスペインの最高裁判所が下した同国法の解釈に従ったもので、国内法上の問題はなかった。
だがCCOOは、残業時間しか記録しないのでは法定の最大許容労働時間が順守されているかどうか確かめることができないと批判。所定労働時間を含むすべての労働時間を記録するよう求めて、スペイン全国管区裁判所に提訴した。
同管区裁判所は最高裁の法解釈が、EU域内に住む市民の権利を定めたEU基本権憲章と、同憲章に基づいて被用者の具体的な権利を定めたEU労働時間指令に抵触している可能性があるとして、ECJの判断を仰いだ。
ECJはこの裁判の判決で、各被用者の労働時間を記録するルールを雇用主に義務付けないことはEU基本権憲章とEU労働時間指令に違反するとの判断を示した。すべての労働時間を記録しなければ、各被用者が何時間、働いたのか、および何時間、残業したのかを客観的に把握することがでず、許容労働時間の上限と法定の最低休息時間に関する被用者の権利が掘り崩されると指摘。労働時間をすべて記録することはこれらの権利を行使するための前提に当たるとして、加盟国は全労働時間の記録を雇用主に義務付けなければならないと言い渡した。