2014/5/28

コーヒーブレイク

ヤルゼルスキ将軍が死去~ポーランド

この記事の要約

ポーランド社会主義主義体制下の最後の指導者だったヤルゼルスキ元大統領が25日、病死した。90歳だった。軍人・政治家として民主化運動を弾圧したが、後に平和裏の体制転換を可能にする判断を下したことあり、その評価は定まっていな […]

ポーランド社会主義主義体制下の最後の指導者だったヤルゼルスキ元大統領が25日、病死した。90歳だった。軍人・政治家として民主化運動を弾圧したが、後に平和裏の体制転換を可能にする判断を下したことあり、その評価は定まっていない。

ヤルゼルスキ氏は1923年生まれ。第2次世界大戦後のポーランド軍でキャリアを積み、1969年に国防相に就任した。

1981年の首相在任中、戒厳令を布告して自主管理労組「連帯」を中心とする民主化運動を弾圧した。「連帯」を指導したワレサ議長(後の大統領)らが逮捕され、反体制活動家100人弱が殺害されたり行方不明になったりした。その記憶は30年以上たった今でも受け継がれている。

しかし、ヤルゼルスキ氏は83年の法王ヨハネ・パウロ2世(当時)との会見後に戒厳令を解除。その後のペレストロイカと民主化運動の高まりを受けて改革勢力と対話を開始した。これが、ポーランドにおける無血革命につながったとされている。

ワルシャワ市によると、ヤルゼルスキ氏は30日、ポーランドの将軍が眠るポヴォンズキ軍人墓地に埋葬される。これに対し、国民に対する犯罪を追及する国家機関「国家記銘院(IPN)」のカミンスキ代表は、「共産主義体制の犠牲者と同じ墓地に独裁者を埋葬することはできない」と反発。フェイスブックで立ち上げられた「同志ヤルゼルスキのポヴォンズキ墓地埋葬にストップ!」というページもフォロワー数が26日午後までに2,500人に上った。

ポーランドにおけるヤルゼルスキ氏をめぐる評価は、その死後も分かれたままとなりそうだ。