2015/2/4

コーヒーブレイク

アウシュビッツ解放から70年~ポーランド

この記事の要約

現ポーランド領クラクフ郊外にあるナチス・ドイツのアウシュビッツ強制収容所がソ連軍に解放されてから、先月27日で70年が過ぎた。そんな中、あるドイツ人作家の未完成小説がひそかに注目を集めている。 これを著したのは、1944 […]

現ポーランド領クラクフ郊外にあるナチス・ドイツのアウシュビッツ強制収容所がソ連軍に解放されてから、先月27日で70年が過ぎた。そんな中、あるドイツ人作家の未完成小説がひそかに注目を集めている。

これを著したのは、1944年に15歳で召集され、アウシュビッツで空軍補助兵となったトーマス・グニェルカだ。どこなのかも知らされずに、同級生と東方前線へ送られ、囚人とともにイ・ゲ・ファルベン工場を空爆から守るために壕を掘るなどの作業を強いられた。イ・ゲ・ファルベンはガス室で使われた「チクロン・ベー」のメーカーとして知られる。

小説の主眼は少年兵が心に受けた傷(トラウマ)を抱えながら、戦後、どう「普通の」生活へ戻っていくのかにある。しかし、グニェルカが見聞きした当時のアウシュビッツの様子は―悲惨さに直接触れていないにも関わらず―、70年後の読者にも大きな衝撃だ。

例えば、収容所に残された死体の描写はない。ただ、これを見た登場人物の反応が描かれているだけだ。それだけで、地面に掘られた大きな穴に重なる、数え切れないほどの死体があることが、その凄惨さが伝わってくる。ヘミングウェーのような無駄を省いた文体が印象を強めている格好だ。

グニェルカは戦後、記者となり、官庁や政党、経済界などで「元ナチス」が過去への反省なしに働き、出世し、「奇跡の経済成長」を謳(おう)歌している様子を暴いた。その中で、偶然に入手したのが、ナチスによる組織的な殺害を証明する当時の書類だった。

これが証拠となり、1963年にフランクフルトで「アウシュビッツ裁判」が開廷する。この裁判では、収容所から生還した人が多数証言した。その内容に加え、22人の被告人が後悔のかけらも示さなかったことが国民の脳裏に焼きついた。

アウシュビッツ裁判は、ナチス・ドイツの犯罪に口を閉ざしてきた戦後のドイツ社会に衝撃を与え、過去への反省に基づくドイツの自己認識につながる契機となった。同裁判は昨年、「Im Labyrinth des Schweigens(沈黙の迷宮で)」というタイトルで映画化されている。

グニェルカは65年の判決を待たず、36歳の若さで病死した。記者として忙しい日々を送るなか、小説は未完のままに終わった。しかし、開廷50周年を機にアウシュビッツ裁判への関心が高まったことで、史料や歴史家の解説を加えて出版に至った。

ドイツでも、「戦争犯罪のことは、もういい加減、聞きたくない」という声がある。ただ、グニェルカの未完小説でわかるのは、加害国の国民も苦しんだという事実だ。

戦争や虐殺に勝者はいない。戦争反対という立場で、国籍や民族に関係なく、過去から学ぶ姿勢で一致できることを望む。