ルーマニアで25年君臨した独裁者、二コラエ・チャウシェスクは、1971年の北朝鮮訪問時に金日成国家主席への個人崇拝と大規模な「国土開発」に感銘を受け、自国の「体制化(Sistematizarea)」を進めた。地方では工業化を目指し、農民を新たに設置した「農工業センター」へ強制移住させ、都市でも「退廃的な」歴史的建造物を鉄筋コンクリートの団地に置き換えた。
首都ブカレストも例外ではない。1977年のヴランチャ地震で歴史的建造物を含め、多くの建物が損傷を受け、町の再建が課題となったのを機に、チャウシェスクは大規模な開発を命じたのである。
これにより、歴史的街区は徹底的に壊され、その跡地に「人民宮殿(現国会議事堂)」など、チャウシェスクの権力を象徴する政治行政建造物が据えられた。かつての「東欧のパリ」の面影はなくなってしまった。
教会も42堂が撤去の対象となった。しかし、正教会本部によると、そこに「奇跡」が起こった。起こした張本人は建築エンジニアのエウジェン・ヨルダケスクさん。レストランでお盆に飲み物を載せて運ぶウエイターを見てひらめいた。「教会の下にお盆のような台を作って動かせば、壊さなくてもよくなる」――そして、実行に移したのである。
教会の下を掘り起こし、柱で支えてコンクリートを流し込んだ。これを台にして、その下に「線路」を作り、立っている位置をずらしたのである。全ての教会を残すことはできなかったが、これで13教会が救われた。教会は団地の谷間に隠れてしまったが、それでも生きながらえ、現在も訪れることができる。