英領北アイルランド自治政府のプーツ農相は2日、英本土から北アイルランドに流入する農産品の検疫検査を中止すると発表した。EUと英国の離脱協定に盛り込まれた「北アイルランド議定書」のルールを反故にするもので、大きな波紋を広げている。
プーツ氏は自治政府に無断で、農相の権限で一方的に同決定を下し、関係当局に3日から農産品の検疫検査を全面的に中止するよう指示した。政府の承認なしに同措置を実施できるという法的な助言があったと説明している。
北アイルランド議定書は、北アイルランドとアイルランドの紛争に終止符を打った1998年の和平合意の精神を踏襲したもの。英の離脱後も、北アイルランドと地続きで国境を接するEU加盟国アイルランドの間に物理的な国境を設けず、物流やヒトの往来が滞らないようにするのが目的だ。これによって北アイルランドはEU単一市場と関税同盟に残ることになった。
その代わりに北アイルランドは、議定書が定める通商ルールに沿って、本土から流入する食品などについてはEUの厳しい食品・衛生基準を満たさなければならず、通関・検疫が必要となった。
同議定書をめぐっては、英国との一体性を重視するプロテスタント系のユニオニスト派が、北アイルランドが英本土から切り離されたとして反発。英政府も抜本的な見直しをEUに求めており、協議が続いている。
プーツ氏は農産品の検疫廃止について、「近い将来に」正式な手続きを踏むとしているが、北アイルランド議会では議定書支持派が過半数を占めており、承認されないのは確実。流動的な状況に直面する当局は、すぐには農相の指示に従わず、港湾では検疫が行われている。4日には北アイルランドの裁判所が、即時の検査廃止には問題があるとして、当面は継続することを命じる決定を下した。
プーツ氏は同議定書の見直しを強く求めるユニオニスト派政党「民主統一党(DUP)」に属する有力政治家。同党の党首を務めたこともある。今回の決定には、アイルランドのコーブニー外相が「国際法違反」として猛反発。通商ルール見直しをめぐる英国との協議でEUの代表を務める欧州委員会のシェフチョビチ副委員長は3日発表した声明で「非常に無益だ。北アイルランドの市民、事業者にとって不透明、予測不能な状況をもたらす」と述べ、遺憾の意を表明した。
北アイルランド自治政府内でも、親アイルランド派シン・フェイン党のオニール第一副首相が「ばかげている。DUPによる不当な干渉で、国内法と国際法に違反する」と述べるなど、批判的な声が出ている。
一方、3日には自治政府のギヴァン第1首相(DUP所属)が、議定書に抗議して辞任した。自治政府ではユニオニスト派と親アイルランド派が第1首相と第一副首相を分け合い、どちらかが辞任すると自動的に両者が辞任する制度になっていることから、オニール第一副首相も失職する。5月5日の議会選挙を前に、自治政府のトップが不在となる事態となり、シン・フェイン党は選挙の前倒しを求めている。
北アイルランドでは新通商ルール導入に伴う混乱が予想より小さかったとして、議定書を支持する人が多く、世論調査ではシン・フェイン党が議会選で勝利する見通しとなっている。農相と第1首相の〝暴走〟には、ユニオニスト派の結束を強め、選挙戦で巻き返したいという思惑もあると目される。
北アイルランドの通商ルール見直しに関する英国とEUの協議では、EU側が昨年10月、衛生植物検疫措置(SPS)を緩和し、食品などの検疫検査を80%減らすという妥協案を提示したが、英国側はさらなる要求を突き付けている。
今回の突発的な動きには、英政府がEUへの圧力を強め、譲歩を引き出すため、DUPと共謀したという説も浮上しているが、英政府関係者は同国のメディアに「知らされていなかった」として関与を否定。ルイス北アイルランド担当相はテレビ局とのインタビューで「北アイルランドの問題だ」と突き放した一方で「英政府がEUに対して、ルール見直しに応じなければ起こり得ると警告していたような事態が起きた」と述べた。