●北マケドニアはEU加盟への道筋に期待
●ブルガリアの態度は軟化も、まずは関係改善を目指す
ブルガリアのキリル・ペトコフ首相は18日、北マケドニアの首都スコピエで、前日に就任したばかりのディミタル・コヴァチェフスキ新首相と会談し、関係強化で合意した。北マケドニアの欧州連合(EU)加盟交渉開始にブルガリアが同意するかどうかの判断は保留されたが、12月に就任したペトコフ首相はボリコ・ボリソフ前首相よりも態度を軟化させている。まずは経済、貿易、教育といった分野における具体的な提携を通して関係を改善し、今後の交渉につなげる姿勢だ。
北マケドニアは2019年末までにEU加盟交渉開始に向けた条件を満たしたが、歴史認識を理由とするブルガリアの反対で、未だに交渉を始められないでいる。欧州委員会や加盟各国政府からは、ブルガリアが本来、二国間で解決すべき問題をEUレベルに持ち込んで北マケドニアに圧力をかけているとして批判の声があがっていた。今回、両国ともに話し合いに前向きな姿勢を示したことで解決への希望が生まれた。ただ、どちらの国にも妥協反対派が無視できない勢力を持っており、それぞれの国民が受け入れられる妥協点がどこにあるかを模索していくことになりそうだ。
ブルガリアは北マケドニアに対し、(1)マケドニア語は独立の言語ではなくブルガリア語の方言(2)マケドニア人は独立した民族ではなくブルガリア民族の一派(3)憲法改正を通じて、北マケドニアのブルガリア系国民を民族少数派として認知(4)略称の「北マケドニア」が国名であり、地域名でないことを明確化するため「北マケドニア共和国」を常に使用――などを求めている。(4)について北マケドニアは今回の首脳会談に先立ち、国際連合に「正式名・略称ともに国を指すものである」と通知し、ブルガリアの要求に応えている。
ブルガリアと北マケドニアのあつれきの歴史は、第一次バルカン戦争でバルカン同盟がオスマン帝国を破った1912年までさかのぼる。旧オスマン帝国領のマケドニア地方はギリシャ、ブルガリア、セルビアに三分割された。ブルガリアはその分配に不満で、第二次バルカン戦争などを通じて変更を試みたが、失敗に終わった。最終的に第二次世界大戦後にユーゴ連邦が発足して、その構成共和国として現在の北マケドニアが形作られた。ブルガリア側は、このような歴史的背景から北マケドニアの「民族、言語ともにブルガリアを源としている」と主張している。