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2010/11/17

経済産業情報

黒い森の鹿像が100年の「垢落とし」

この記事の要約

西南ドイツの都市フライブルクから東の黒い森方面に向かう場合、ヘレンタール(「地獄谷」の意)経由でティティゼー、ノイシュタットに抜けるのが普通である。途中のブーヘンバッハで一度ヴァーゲンシュタイクタール(「馬車が登る谷」の […]

西南ドイツの都市フライブルクから東の黒い森方面に向かう場合、ヘレンタール(「地獄谷」の意)経由でティティゼー、ノイシュタットに抜けるのが普通である。途中のブーヘンバッハで一度ヴァーゲンシュタイクタール(「馬車が登る谷」の意)を北上し再び南下するルートもあるが、こちらは遠回りで時間もかかるからだ。ヘレンタールは鉄道と国道31号線が通る立派な幹線ルートである。

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だが、こうなったのは近代に入ってからのことで、中世や近世の旅人は主にヴァーゲンシュタイクタールを行き来した。ヘレンタールに足を踏み入れるのはよっぽどの事情がないかぎり避けたはずである。

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地獄谷という地名から推測されるように、この谷は両側を険しい斜面や絶壁に囲われており、通行には本来向いていない。馬車で通ることなどかつてはできなかったわけで、当時のメインルートがヴァーゲンシュタイクタールと名付けられたのはおそらくこうした事情と関係があるのだろう。

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ひと気の少ないヘレンタールにはかつて、騎士の居城があった。騎士というと聞こえは良いが、実態は盗賊である。生活のために山賊と化した次第だ。困り果てたフライブルクの市民が大挙して襲撃したとの記録も残る。

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ヘレンタールにはこの盗賊騎士が登場する伝説が伝えられている。狩りをしていたある日のこと、遠くに立派な角を持つ大鹿がいるのを発見。騎士は後を追い、谷の絶壁へと追いつめることに成功した。鹿にはもはや逃げ場がない。あとは矢を射るばかりとなったその時、鹿は谷をはさんだ向かい側の絶壁へと大きく一躍し、逃げ去ることに成功した。

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大鹿が飛躍したとされる場所は現在、谷の幅が50メートルにも及ぶ。だが、立派な道路や鉄道が作られる前はわずか9メートルに過ぎなかったため、鹿の跳躍力をもってすればどうにか谷を飛び越えることができたようである。

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この場所には1856年に木製の鹿の記念碑が設置された。現在は1907年に造られた2代目が40メートルの絶壁の上に屹立している。銅でできた重さ350キロ、高さ2.5メートルの立派なもので、向かいの谷をにらんでいる。

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だが、この100年ほどの間に鹿の銅像は人間の手により様々な痛手を受けてきた。心ないロッククライマーからペンキをかけられたり、銃撃を受けたりといった次第である。銃痕は100カ所以上と多く、第2次世界大戦末期に占領したフランス軍が「犯人」と推測されている。

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あまりに痛々しいということで、地元の営林署が今年8月に像を取り外して修復。修復された像は10月下旬に再び設置された。

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ヘレンタールを通ることがあったならば是非、ご覧になっていただきたい。フライブルク方面から向かって右側の絶壁の上に立っている。国道からも列車からも仰ぎ見ることができる。

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