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2020/2/12

総合 - ドイツ経済ニュース

独政界に激震、極右の支持で州首相が誕生 国政与党の党首辞意

この記事の要約

ケメリッヒ首相は州議会の指名選挙で、AfDおよび国政与党キリスト教民主同盟(CDU)の支持を受けて首相に選出された。

これには左翼党、社会民主党(SPD)、緑の党、FDPに加えて、州首相指名選挙でケメリッヒ氏を支持したCDUないしAfDのどちらかが賛成する必要がある。

州首相の信任投票が否決され、その3週間以内に新たな首相が選出されない場合も州議会が解散されることから、ケメリッヒ首相は議員3分の2以上が解散・総選挙に賛成しない場合、信任投票を行うとしている。

独東部テューリンゲン州で5日に行われた州首相指名選挙で中道右派・自由民主党(FDP)のトーマス・ケメリッヒ議員が国政与党のキリスト教民主同盟(CDU)と、移民排斥を訴える極右の「ドイツのための選択肢(AfD)」の支持で同州の新首相に選出されたことは、巨大地震のように政界を強く揺さぶっている。ケメリッヒ新首相は政界や世論の強い圧力を受けて就任翌日の6日に辞意を表明し8日に辞任。同首相選出の責任を問われたFDPのクリスティアン・リントナー党首は臨時執行部会を開き、自らの信任投票を余儀なくされた。最大の「犠牲者」はCDUのアンネッテ・クランプカレンバウアー党首で、10日に辞意を表明するとともに、同党の首相候補を辞退することを明らかにした。

FDPのケメリッヒ議員は州議会で行われた州首相指名選挙で、現職のボド・ラメロー首相(左翼党)を破って新首相に選出された。FDPは同州議会で議席数が最も少ない政党。CDUとAfDが最終投票で支持に回ったことから、予想外の首相が誕生した。

同州では昨年10月に州議会選挙が行われ、AfDが得票率を前回の2倍強へと拡大。左翼党もラメロー首相の人気が追い風となって勢力を拡大し、CDUを抜いて州第一党へと浮上した。

各党の獲得議席数は左翼党が29、AfDが22、CDUが21、社会民主党(SPD)が8、緑の党とFDPが各5だった。合計は90で過半ラインは46。ラメロー首相のもとで同州の政権を担ってきた左翼党、SPD、緑の党の3党は合わせて42で過半数に届かず、中道のCDU、SPD、緑の党、FDPの4党も計39にとどまった。AfDと連立を組む政党はないため、議会の過半数を確保できる選択肢は(1)左翼党とCDUの連立(2)左翼党とSPD、緑の党の3党にFDPを加えた4党連立――の2つしかなかった。

だが、CDUとFDPは左翼党との連立を拒否。次期政権は少数与党政権となるのが避けられない状況となっていた。

州首相指名選挙は計3回、行われた。第1回選挙では左翼党、SPD、緑の党が支持するラメロー首相と、AfDが打ち立てたクリストフ・キンダーファーター氏(無党派)が立候補。ラメロー首相は大差で勝ったものの、首相選出に必要な過半数を獲得できなかった。第2回投票でも同じ結果となったことから、3回目の投票が実施された。この第3回投票でFDPのケメリッヒ議員が初めて立候補したため、3人が争う格好となった。

ケメリッヒ議員は得票数が45で、過半数に届かなかったものの、第3回投票では最も多くの票を得た候補が首相に選出される決まりとなっていることから、新首相となった。

同議員は第3回投票に出馬する意向を指名選挙の数日前に表明。CDUの州議員団はこれを受けて、場合によってはケメリッヒ議員に投票する考えを打ち出していた。ラメロー首相の再選が避けられいとみられる状況下で、ケメリッヒ議員に投票して中道右派の存在感をアピールする狙いがあったとみられる。

だが、急進左派の左翼党を中心とする政権の継続に異議を示すこの戦略は裏目に出た。CDUのこの意思表明を踏まえ、AfDが第3回投票で自らの候補であるキンダーファーター氏でなくケメリッヒ議員へと投票したためだ。キンダーファーター氏の得票数は第2回投票の22から0へと落ち込んだ。

戦後の政治理念から逸脱

極右のAfDと中道右派のCDU、FDPが結果的とはいえAfDと協力したことは、ナチスの歴史への反省に基づく戦後ドイツの政治理念からの逸脱であり、政界には衝撃が走った。アンゲラ・メルケル独首相は訪問先の南アフリカで、「許されないことだ」と批判。選挙は「取り消されなければならない」としてケメリッヒ首相の辞任を強く促した。

FDPのリントナー党首はAfDに今回の「策略」を許すきっかけとなったケメリッヒ議員の立候補を少なくとも容認した。また州首相への選出直後には、AfDと左翼党を除くテューリンゲン州議会の政党にFDPとの連立協議に応じるよう要求した。これは首相選出直後の時点ではAfDの「協力」を受けたことに対する危機感がなかった、あるいは問題を無視しようとしたことを意味する。

同党首は政界の拒絶反応やメディアの批判的な報道を受けて事の重大性をようやく認識したもようで、翌6日に自らテューリンゲン州へと赴いてケメリッヒ新首相と会談。辞任を強く促した。

ケメリッヒ首相は同日午前の時点では職務の行使に意欲を示していたが、リントナー党首の要求を受けて方針転換。「AfDの支持という穢れを首相職から除去する」ために、州議会を解散するとともに辞任する意向を表明した。

リントナー党首は7日の臨時執行部会で信任を獲得し、党首にとどまることに成功した。ただ、今回の出来事でFDPの支持率は急速に低下している。23日に行われるハンブルク州議会選挙で議席獲得に必要な5%を割り込むようだと、責任を問う声が党内で高まる可能性がある。

CDUテューリンゲン州支部が州首相選出の第3回投票でケメリッヒ議員に投票する考えを示していたことに対しては、クランプカレンバウアー党首などCDUの首脳陣が思いとどまるよう促してきた。AfDが戦略上の計算から同議員に支持票を投じ、中道右派のCDU、FDPと協力したという「既成事実」を作り上げる可能性を完全には排除できない状況にあったためだ。

CDUの州議会議員はこれを無視してケメリッヒ議員に投票したことから、クランプカレンバウアー党首の統制力の弱さが露呈する格好となった。同党首は選挙後、州議会の解散・総選挙に向けて動くようCDUの州議会議員団に迫ったが、この要求も貫徹できなかった。

クランプカレンバウアー氏は2018年12月、CDUの党首に就任した。メルケル首相は21年秋までに引退する意向を表明しており、同党首は順調にいけば、次期連邦議会(下院)選挙でCDUと姉妹政党キリスト教社会同盟(CSU)の首相候補となるはずだった。

だが、同党首の下でCDUの支持率は低迷。連邦議会選挙に向けた見通しが暗かったこともあり、今回の不手際をきっかけに辞任を決意した。国防相にはとどまるとしている。

次期党首候補(CDU/CSUの首相候補)としてはノルトライン・ヴェストファーレン州のアーミン・ラシェット州首相と、前回の党首選挙でクランプカレンバウアー氏に敗れたフリードリヒ・メルツ元院内総務が有力視されている。

中道右派との連立実現がAfDの目標

国政与党・社会民主党(SPD)は今回の問題を受けて、CDUの対応次第では連立から離脱する意向を示し、毅然たる姿勢を取ることを要求。8日の政府与党協議会では、(1)ケメリッヒ州首相の即時辞任(2)テューリンゲン州議会で安定した政権基盤を創出する――を同州に要求することが取り決められた。このうち(1)については同日に現実した。

(2)では州議会の解散・総選挙を強く求めている。AfDを除いた政党が過半数与党政権を樹立できない現状ではAfDが首相選出や法案のキャスティングボート(決定権)を握るという事態が今後も起こりうるためだ。

テューリンゲン州首相選出選挙後に行われた世論調査によると、州議選が仮に実施された場合、CDUとFDPが大敗する反面、左翼党が得票率を大幅に伸ばし、左翼党、SPD、緑の党の3党は過半数議席を再び獲得できる見通し。それにもかかわらずCDUが政府与党協議会で同州議会の解散を求めるSPDの要求を受け入れたのは、州議会で議席を減らすという犠牲を払ってでも、CDUに対する国民の信頼をつなぎとめようとしていることを意味する。

テューリンゲン州議会が解散するのか、それとも解散せずに新首相を選出して新政府を樹立するのかは現時点で定かでない。同州の各党支部は選挙資金やそれぞれの思惑から解散を回避したいというのが本音だ。左翼党のラメロー前州首相は、選挙を実施すると新政権が樹立されるまでに多くの時間を要するとして、解散に否定的な立場を示した。

戦後ドイツ(統一までは西ドイツ)の主要政党は長年、二大政党のCDU/CSU、SPD、および小政党のFDPだけだった。だが83年に緑の党が連邦議会へと進出。統一後はこれに左翼党が加わった。現在はさらにAfDが一大勢力として議会に基盤を持っている。AfD以外の政党は同党との協力を直接・間接を問わず拒否していることから、国でも地方レベルでもAfD以外の政党間で政権を樹立しなければならない状況にある。

AfDの得票率は国政レベルで約13%、同党が強い勢力を持つ東部諸州では21%~28%に上る。CDU/CSUとFDPは左翼党との協力も拒否しているという事情があることから、安定した過半数政権を成立させるのは難しい。AfDと左翼党の得票率が高い東部州ではこの壁が特に高い。

AfDはこの状況を踏まえ、CDU/CSUがAfDと連立を組まざるを得ない状況を作り出すことを長期戦略として打ち出している。テューリンゲン州でAfDが州首相選でCDUとFDPの裏をかいてケメリヒ議員に投票したのは、既存政党を単に混乱させるだけでなく、「協力の既成事実」を通してCDU側の警戒感を弱め、将来の連立実現につなげる狙いもあったとみられる。

この協力関係を今後、創出・強化していくためには、CDUがリベラル色を弱め保守化することが前提となることから、今回の「事件」をきっかけに、リベラル派であるメルケル首相の後任であったクランプカレンバウアー党首が辞任へと追い込まれたことはAfDにとって大きな成果と言える。メルケル首相を来年秋の任期満了を待たずに辞任へと追いやることが差し当たっての最大の目標と目されている。

保守色を強めたCDU/CSUと、ナチスの犯罪の過去を「1000年に上るドイツの歴史にとっては鳥の糞に過ぎない」(AfDのガウラント名誉党首)と軽視するAfDが国政レベルの政権を仮に樹立した場合、戦後ドイツの政治文化は大きく変質する懸念がある。

ガウラント名誉党首はCDUからAfDへと鞍替えした経歴を持つ。東部州のCDUの党員の間ではAfDとの連携解禁を求める声が強く、両党の境界線はCDUの執行部が強調するほどには鮮明でない。

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