VW元会長のピエヒ氏が死去

独自動車大手フォルクスワーゲン(VW)の社長・監査役会会長を長期に渡り務めたフェルディナンド・ピエヒ氏が8月25日死亡した。82歳だった。ウィーンで生まれのピエヒ氏は、ドイツを代表する大衆車「ビートル」を開発したオーストリアの自動車エンジニア、フェルディナンド・ポルシェ氏の孫で、1993~2002年まではVWの社長を、その後は長期に渡り、VWの監査役会長を務めた。

ピエヒ氏の妻であるウルズラ・ピエヒ夫人は同日発表した文書の中で、ピエヒ氏の死去は「突然の予期せぬ死」であり、「彼は最後まで熱心なエンジニアであり、自動車愛好家でした」と綴っている。

独『ビルト』紙がローゼンハイム病院の消息筋から得た情報によると、ピエヒ氏はオーバーバイエルンでの催しに参加するため旅行中だった。21時45分頃にローゼンハイムのレストランで体調が悪くなり、ローゼンハイム病院に運び込まれ、同病院で死亡した。

VWのヘルベルト・ディース社長は8月27日付のVWのプレスリリースの中で、ピエヒ氏の死去を悼み、ピエヒ氏の功績を称えるとともに、新技術の開発や、細部にまで品質と完璧さを求めるエンジニアとしての姿勢にも言及した。ディース社長は、ピエヒ氏がVWグループのトップとして同グループの国際化や、ベントレー、ランボルギーニ、ブガッティのVWグループへの統合、プラットフォーム戦略による量産ブランドの国際的な競争力強化、商用車ブランドのスカニア、MANのVWグループへの統合などを推し進めた手腕に言及した。

ピエヒ氏は1972年にアウディでキャリアをスタートした。1998年からアウディの社長を、1993年からはVW社長を務め、2002年にVWの監査役会長に就任した。VWグループの販売台数を1,000万台以上に伸ばすなど同グループの事業拡大や競争力強化に大きく寄与した。また、2015年にVWの監査役会長を退任するまでVWグループで絶大な権限を持っていたとされる。

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