2015/3/11

コーヒーブレイク

お母さんは黙らない~ロシア

この記事の要約

プーチン大統領は政権を握ってからこれまでの15年間に、政府への批判を取り締まる体制を築き上げた。批判の声をあげるには脅迫、逮捕・投獄を覚悟しなければならない。最悪の場合、命を落とすこともある。最近では先月27日のネムツォ […]

プーチン大統領は政権を握ってからこれまでの15年間に、政府への批判を取り締まる体制を築き上げた。批判の声をあげるには脅迫、逮捕・投獄を覚悟しなければならない。最悪の場合、命を落とすこともある。最近では先月27日のネムツォフ氏暗殺がその事実を見せつけた。

そんな中でも黙らない、数少ないロシア国民の例として、兵隊さんのお母さんの集まりがある。1989年に結成された「兵士の母の会」がそれだ。

ロシア軍では古参兵による新兵への暴力が日常化しており、リンチによる死者や、耐え切れなくなった自殺者が後を絶たない。2006年には19歳の新兵が両足を切断しなければならなくなった。事件は危うく握りつぶされるところだったが、病院からの匿名電話を受けた「母の会」が取り上げて容疑者検挙までこぎつけた。

チェチェン戦争では、装備や訓練、兵士の体力の不足を訴え、チェチェンを目的地とする行進デモを組織した「母の会」だが、現在では人権団体の取締りが厳しくなり、ウクライナ内戦に関連する活動は難しくなっている。

「母の会」が入手した情報によると、チェチェンに駐屯していた歩兵隊がウクライナに送られて100人が戦死した。過去2カ月だけで1万~2万人のロシア兵が内戦に動員されたもようだ。戦死者の家族は、息子や夫がどこで、どのように死んだのかさえ、よくわからない。

「母の会」が昨秋、実態を明らかにするよう当局に求めたところ、内務省は即座に「母の会」を「外国のエージェント」と認定し、活動の制限を強めた。「母の会」はこの判断を不服として裁判に提訴したが、ロシアの裁判所で勝訴するのはほぼ不可能だ。

しかし、母の愛は強く深い。ソ連末期にはアフガニスタンに息子が出征した母親がポツリポツリと抗議を始めた。2000年の原子力潜水艦「クルスク」沈没事故で乗員の母親たちが大声で政府を罵倒した姿も記憶に残る。メディアの注目を浴びるとも浴びなくとも、母たちの声は途絶えないだろう。