2015/11/4

コーヒーブレイク

大統領強権政治の夢~ポーランド

この記事の要約

先月のポーランド議会選挙で「法と正義(PiS)」が政権に返り咲き、ヤロスワフ・カチンスキー党首は長年の夢を実現させる決意を新たにしている。10年前にもPiSは第1党となり連立政権を樹立したが、連立パートナーとうまく連携で […]

先月のポーランド議会選挙で「法と正義(PiS)」が政権に返り咲き、ヤロスワフ・カチンスキー党首は長年の夢を実現させる決意を新たにしている。10年前にもPiSは第1党となり連立政権を樹立したが、連立パートナーとうまく連携できず、政治目標を実現する前に07年の選挙で敗れた。今回は社会主義体制崩壊後、初の政党として下院の過半数議席を確保し、政権運営も比較的容易になるとみられ、カチンスキー党首の描く「強いポーランド」に近づいていく可能性がある。

カチンスキー党首は1949年に双子の弟、レフとともに誕生した。対独戦で90%が破壊されたワルシャワで、ナチスと赤軍の双方を敵に戦った父の語る「英雄伝」を聴いて育った。父は「ポーランド建国の父」として知られるユゼフ・ピウスツキ元帥を崇敬しており、ヤロスワフ、レフ兄弟もピウスツキのナショナリズム思想と統治に用いた強権的手法を受け入れていった。また、カトリック信仰も人生の基盤に据えられた。

いつも行動をともにした兄弟だった。二人とも法律家になり、社会主義体制末期には労組「連帯」に参加。体制変換後、初めて自由選挙で選ばれたワレサ大統領の顧問を務めた。しかし、ワレサ大統領が「元社会主義者に対して妥協しすぎ」として1993年に袂を分かった。

二人は自らの政策を実現するため、2001年にPiSを結党した。05年にレフが大統領に選ばれ、PiSも議会選挙で第1党となった。ヤロスワフは当初、マルチンキエヴィツを首相に立て、自らは黒幕として実権を握り、翌06年になってから首相に就任した。

PiSは大統領の権力を拡大して「強い政府」を作ることを目標にしたが、連立を組んでいた急進農民政党「自衛」と右派民族主義政党「家族同盟」の抵抗にあい失敗した。

07年にはヤロスワフに解任された元内相が「首相が保安当局に命じて政敵や一部の政友の弱み(交友関係や不正な取引)を探らせた」と告発して大きな問題となり、同年の選挙で自由主義を志向する中道右派「市民プラットホーム(PO)」に敗退した。

2010年の大統領機墜落事故で最も近しい友であり近親であったレフを亡くしたが、ヤロスワフは二人の政治目標に向かって進み続けてきた。その強権的な性格は変わっていない。ピウスツキ時代のように、「大統領が法的効力を持つ政令を公布する権利」を導入し、政府や議会の力を弱めるのがその中核だ。ただ、実現には出席議員の3分の2の賛成を得て憲法を改定する必要があり、それに足る票を集めるのは難しい。

いずれにしても、PiS政権下の05~07年には欧州連合(EU)よりも自国の利益を守るナショナリズム的立場を強く打ち出し、EUとの不協和音が大きくなった。ヤロスワフを「ワルシャワのオルバン(ハンガリー首相)」と比喩する論評もあり、欧州レベルでの政治運営は今後、一段と難しくなりそうだ。