2015/9/30

コーヒーブレイク

歴史解釈で外交対立、ウクライナ紛争が背景に

この記事の要約

ロシアによるクリミア半島編入以来、同国とポーランドの関係は氷河期が続いているが、このところの対立は歴史解釈のずれを改めて示すものとなっている。数日前には、ロシアの駐ポーランド大使が「第二次世界大戦勃発の責任の一端はポーラ […]

ロシアによるクリミア半島編入以来、同国とポーランドの関係は氷河期が続いているが、このところの対立は歴史解釈のずれを改めて示すものとなっている。数日前には、ロシアの駐ポーランド大使が「第二次世界大戦勃発の責任の一端はポーランドにある」と発言したことが問題となり、ポーランド外務省が同大使を召喚した。

セルゲイ・アンジェイエフ大使はポーランド民放「TVN24」で、「ポーランド政府が1930年代にソ連と対独統一同盟を結成することを一度ならず拒んだことが、第二次大戦の勃発・ポーランドの悲劇につながった」と話した。また、「ソ連による東部ポーランド占領は防衛行為であった」とも発言し、戦禍の責任がソ連にはないとの立場を示した。

ポーランド外務省は翌26日、大使の発言に強く抗議し、28日に大使を召喚した。外務省の東方外交担当者は会見の席で大使に対し、「両国の歴史家の見解を無視し、歴史的真実をわい曲する発言」と非難。「ソ連でさえ、最終的には独ソ不可侵条約の秘密協定が東欧の分割・第二次大戦の前提を作り出したと認めた」、「ロシア議会もポーランド人捕虜2万人が殺害された『カチンの森事件』がスターリンの指示によるものだったと認めた」と付け加えた。

大使は自らの発言に関連し「説明が足りず、『第二次大戦開戦の責任がポーランドにある』と言ったように誤解された」と陳謝したが、「ポーランドの悲劇」の責任の一端がポーランド自身にあるという立場は堅持した。

ナチス・ドイツによるポーランド侵攻の直前に結ばれた独ソ不可侵条約には、ポーランドとバルト三国を両国間で分割する秘密協定が含まれていた。英仏の参戦を見込まねばならない状況で、ソ連の中立が確保できたことで、ナチスがポーランド侵攻を実行に移せたというのは歴史の通説だ。また、秘密協定でソ連の勢力圏とされた国々が1989年の体制転換まで「社会主義圏」としてソ連の支配下に置かれたことも明らかだ。

このため、第二次大戦で国民の6人に1人が亡くなり、その後もソ連の強権下に置かれたポーランドでは反ロ感情が強い。

一方、独ソ戦で2,000万人以上の犠牲を出したソ連が、ナチスの敗北に大きな功績を挙げたのは疑いない。ソ連は政治戦略上、東欧の「解放者」という側面のみを強調し、自らの罪には目を向けなかった過去がある。

このずれがポーランドとロシアの見解の差に受け継がれている。

ロシア側は、ポーランド北部ピエニエンジュノにあった、独ソ戦の英雄イヴァン・チェルニャホフスキ―大将の記念碑除去で17日に、東部ミレイチツェにあるソ連軍戦死者墓地が荒らされた事件で25日に、ポーランドのペルチンスカナレチュ駐ロ大使を外務省に召喚したばかりだ。

これらの対立の背景にはウクライナ紛争を機に両国間の関係が悪化していることがある。ポーランドはロシアのクリミア半島編入や、ウクライナ東部の内戦をめぐるロシア政府の姿勢を最も厳しく批判している国の一つで、欧州の対ロ制裁にも積極的だ。