2011/9/7

コーヒーブレイク

グルジアワインの救世主はアメリカ人

この記事の要約

ロシアによる経済制裁で大打撃を受けたグルジアのワイン業界で事業を立ち上げた米国人がいる。同業者が「グルジアワインの救世主」と呼ぶその人は、バージニア州出身のジョン・ワードマンさん(35)。民族音楽に魅せられてグルジアで暮 […]

ロシアによる経済制裁で大打撃を受けたグルジアのワイン業界で事業を立ち上げた米国人がいる。同業者が「グルジアワインの救世主」と呼ぶその人は、バージニア州出身のジョン・ワードマンさん(35)。民族音楽に魅せられてグルジアで暮らし始めたアーティストだ。

\

ワードマンさんは「グルジアでは520種類のブドウが育ち、8000年のワイン醸造の歴史がある」と話す。年間のワイン生産量は9,000万リットル強で、以前は輸出の80%がロシア向けだった。

\

ところが、グルジアが2006年、4人のロシア人をスパイ容疑で起訴したことに抗議し、プーチン大統領(当時)はグルジアとの交通路を封鎖。ミネラルウォーターとワインの輸入を禁止した。

\

窮地の中で、ワインを愛する小規模ワイナリーが作り出したのが琥珀色の高級ワイン「アンバーワイン」だ。これにより、ロシア以外の国に輸出する道が拓かれた。ワードマンさんは、「シャドネーやボルドーといった有名なワインに似せた商品を大量に作ろうという大手ワイナリーの戦略は間違いだ。個性のあるものを作らなければ」と話す。

\

ワードマンさんは2006年に醸造所を設立した。素焼きの壺「クエブリ」を使って醸造する伝統的な方法を採用。「雉を鳴かせるには特別なワインが要る」という言い伝えから命名した自作ワイン「フェザンツ・ティアーズ(雉の涙)」は年4万本を米国、カナダ、香港など9カ国に出荷している。販売価格は1本25~45米ドルだ。旅行者の人気も高いという。醸造所は、ワインツアーや郷土料理を楽しむイベントも主催している。

\

ワードマンさんとグルジアの出会いは、15歳のとき。聴いたことのないワールドミュージックがないかとレコード店で端からCDを見ていた。そして手にしたのがグルジア民謡だった。これが人生の転機となった。1995年にトビリシに降り立ち、CDと同じ音楽家が出演する宴へと足を向けた。

\

同国東部カヘティ出身の音楽家と結婚し、今では2人の子どもがいる。グルジア語を流暢に話し、ワイン畑の画家としても知られるようになった。

\

サーカシヴィリ大統領は昨年、ワイン危機克服を宣言した。しかし、ワードマンさんは「ワイン業界は死んだのも同然の状態からわずかながら成長し始めた、というのが本当のところ」と指摘する。06年以来、政府は60万ラリ(36万5,000ドル)を民間のワイン醸造事業に投資したが、残念ながら方法が誤っていると話し、業界を「これからも手をかけて育てていかなければいけない」と訴えている。

\

2005年に5,930万本だったグルジアのワイン輸出は、ロシアが禁輸措置を出した06年に1,950万本に激減。以来、1,100万本前後で低迷していたが、10年には1,500万本と若干、盛り返した。

\
COMPANY |
CATEGORY |
KEYWORDS |